塙 泉嶺(はなわ せんれい、1876年(明治9年) - 没年不詳)は、茨城県の民間出身の郷土史編纂主任、新聞社(宗教新聞社・政教新聞社)の主幹・社長。1922年(大正11年)から1928年(昭和3年)にかけて、宗教新聞社・政教新聞社発行による塙 泉嶺の郷土史は、東茨城郡・西茨城郡・那珂郡・久慈郡・多賀郡・真壁郡・新治郡・稲敷郡・筑波郡・行方郡・鹿島郡の11郡に及んでいる。 塙 泉嶺は、茨城県東茨城郡渡里村(現在の水戸市渡里町)の旧跡、一盛長者(一守長者)の里に住んでいた。塙氏は地方の名族であった。宗教学を志し、東京に苦学すること数年、神田三崎町の大成中学校、早稲田大学文学科を卒業後、転向し仏大学に入学し、真俗二諦の教理を修め海外に雄飛すること数年を経て帰国した。
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