廣幡 憲(ひろはた けん、1911年2月21日 - 1948年10月9日)は、昭和時代に活動した日本の洋画家である。主に抽象画を描いた。残されている作品は少ない。 1911年(明治44年)2月21日、秋田県仙北郡中仙町字大清水(現・大仙市)に高橋幸之助、エシの二男として生まれた。本名は憲太郎である。4人兄弟である。 1918年(大正7年)に清水尋常小学校(現・大仙市立清水小学校)に入学、その後、小学2年の夏に養子話が持ち上がり、1919年(大正8年)9月19日、養子縁組の手続きがとられた。これは、母の妹で男鹿市脇本の本明寺に嫁いだ叔母のトヨに子がなかったためである。養父は廣幡耕道、憲太郎は養子に入ってから名前を憲導と改めた。
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