庄司 乙吉(しょうじ おときち、1873年〈明治6年〉5月18日 - 1944年〈昭和19年〉11月10日)は、日本の実業家である。東洋紡績の社長を務めた。 秋田県の生まれ。1897年(明治30年)に東京高等商業学校(現在の一橋大学)卒業後、大日本綿糸紡績同業連合会に入りインドのボンベイ(現在のムンバイ)駐在員や書記長を歴任した。1912年(大正元年)には大阪紡績に転勤し支配人を務め、1917年(大正6年)からは東洋紡績に社名変更し取締役や副社長も務める。1919年(大正8年)には第1回国際労働会議に出席したカネボウ(現在のクラシエホールディングス)の社長を務めた武藤山治の顧問を務めるために渡米したが、帰国後の1923年(大正12年)にアナキズム運動に関わった「ギロチン団」に狙撃される。
出典:ウィキペディア「庄司乙吉」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
