高橋 橘太郎(たかはし きつたろう、1872年2月3日 - 1909年10月17日)は、明治時代の日本の外交官。元在漢口総領事。 常陸国笠間生まれ。茨城県士族。松島火薬庫爆発事故で死亡した高橋辰三郎海軍機関大尉は弟。妻は三増久米吉元在京城領事の娘。1895年(明治28年)東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。同年第2回外務書記生試験に合格し、領事館書記生として仁川、牛荘、重慶に在勤した。同期に中村巍など。1898年(明治31年)の戊戌の変法の際には、梁啓超や王照の日本亡命のため宮島に出迎えた。同年辞職。 翌1899年(明治32年)の第8回外交官及領事官試験に合格。1900年(明治33年)在天津領事官補、在清国外交官補。
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