村田 三郎(むらた さぶろう、1888年5月16日 - 1968年以降没)は福岡県出身の実業家。田中鉱山の社員を経て流山鉄道の社長及び会長を務めた。義兄に中大路氏道。 福岡県、後の小倉市で1888年(明治21年)5月16日に村田政之助の三男として生まれる。1914年(大正3年)に東京高等商業学校(後の一橋大学)を卒業すると、東京市京橋区北紺屋町(中央区八重洲)の田中本店に入社した。三郎は千澤専助の四女・経子を妻とし、義父の千澤が1896年(明治29年)に創設した下谷銀行及び東洋貯蓄銀行の取締役にも1920年(大正9年)就任している。社長・田中長兵衛のもと最盛期には国内鉄需要の過半数を生産した釜石製鉄所にも不景気の波が押し寄せ、1920年3月には戦後恐慌が発生。
出典:ウィキペディア「村田三郎 (流山鉄道)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
