八十島 親徳(やそしま ちかのり、1873年(明治6年)4月9日 - 1920年(大正9年)3月18日)は、日本の実業家。渋沢栄一の秘書役を務め、渋沢家の「一番番頭」と呼ばれた。愛媛県出身。娘婿に阪谷俊作。 1873年(明治6年)4月9日、愛媛県宇和島富沢町(現・宇和島市)で生まれる。旧宇和島藩士八十島行蔵の二男。愛媛県第三中学校(現愛媛県立宇和島東高等学校)、商業素修学校を経て、1894年(明治27年)渋沢栄一が創立に関わった高等商業学校(現・一橋大学)を卒業。同郷の先輩であり渋沢栄一の娘婿であった穂積陳重の推薦により、卒業後直ちに渋沢家元方(家政、事業、資産等の管理執行部署)へ入り渋沢栄一の秘書役となる。
出典:ウィキペディア「八十島親徳」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
