矢橋 亮吉(やばし りょうきち、1867年10月3日(慶応3年9月6日) - 1946年(昭和21年)9月30日)は、日本の実業家・銀行経営者・慈善家。先祖は嵯峨天皇の第12皇子・源融にまで遡る矢橋家・本家の出身。国会議事堂などの日本の近代建築史に残る建造物・高層ビル・ホテル・豪華列車の床材・海外の航空会社のラウンジから自動運転技術・EV・新幹線などまで関わってきた、矢橋グループの一翼を担う矢橋大理石の創業者。 1867年に美濃赤坂で生まれる。明治維新の廃藩置県の時に、徳川家康が織田信長の岐阜城千畳敷御殿を移築し造営させた将軍家専用休泊所であるお茶屋屋敷の払下げを受けた矢橋本家・宗太郎の三男。 実父である矢橋本家・宗太郎の二女で姉の勝(後改幾世)の三男である、大蔵省営繕官僚として中心となって国会議事堂の設計をまとめた甥矢橋賢吉(矢橋惣本家)と上京。
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