成田 徳之進(なりた とくのしん、1856年(安政3年) - 1936年(昭和11年))は日本の政治家。青森県弘前市長。 1879年、青森県師範学校卒。北津軽郡教督となる。その後、東津軽郡書記となり、20年間務める。1933年、政友会の後押しを受け、弘前市長に就任する。当初、政友会は市長に元市長の石郷岡文吉を推したが、反政友会派は吉岡文蔵を推した。そのため、市長候補を元市会議長の三上直吉に変更、反政友会派も元市会議長の東海健蔵に変えた。投票では15対14の1票差で三上となったが、反政友会派はこれを認めず、東海を市長にした。そのため、市長が二人いるという前代未聞の事態となった。事態を重く見た青森県は選挙のやり直しを命じ、市長選はやり直しとなり、政友会に推された成田と反政友会派の東海の争いとなり、再選挙の結果、成田が勝利した。
出典:ウィキペディア「成田徳之進」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
