沈 鈞儒(しん きんじゅ、1875年1月2日〈同治13年11月25日〉 - 1963年6月1日)は、中華民国・中華人民共和国の政治家。立憲派・政学系の政治家で、日中間で武力衝突が勃発すると抗日運動を展開した。そのために蔣介石の弾圧を受けた「七君子」の1人としても著名である。中華人民共和国では初代最高人民法院院長となった。字は秉甫。号は衡山。祖籍は浙江省嘉興府嘉興県。 祖父は蘇州知府、叔父は陝西学政使、父は候補知県という地方官吏の家庭に生まれる。沈鈞儒は幼年で旧学に親しんだが、後に変法派の思想へ傾いた。1900年(光緒26年)、父が死去したため西安に赴き、叔父の下で文書係を務めた。1903年(光緒29年)、挙人となり、翌年、進士となっている。
出典:ウィキペディア「沈鈞儒」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
