竹内 賀久治(たけうち かくじ、明治8年(1875年)10月3日 - 昭和21年(1946年)11月18日)は、日本の弁護士、教育者、政治活動家。法政大学総長、第二東京弁護士会会長、国本社専務理事。学位は法学博士。 岡山県窪屋郡白楽市村(現在の倉敷市)に生まれる。苦学して、明治26年(1893年)に陸軍教導団に合格。明治30年(1897年)に二等軍曹となり、歩兵第21連隊(広島)に配属。翌年陸軍士官学校に入学する(11期) 。しかし上官と喧嘩をし、陸軍を退職。その後、麻布中学の体操教師をしながら和仏法律学校夜間部に通う。 明治37年(1904年)日露戦争に出征、砲兵少尉として能美島砲台に配属され、翌年大連に上陸するも病により内地送還、召集解除となる。
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