守屋 此助 (もりや このすけ、1861年6月13日(文久元年5月6日) - 1931年(昭和6年)6月9日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員、横浜市会議長、神中鉄道(現在の相模鉄道)社長。 1861年(文久1年5月6日)、備中国小田郡にて生まれる。東京法学校(現・法政大学)を卒業後、横浜市で弁護士を開業する。 1894年(明治27年)に第3回衆議院議員総選挙に当選する(以後当選8回、憲政会)。 1906年(明治39年)から横浜市子安町地先の海面埋め立て事業をおこない(後の守屋町)、1921年(大正10年)に横浜市会議長に就任する(-1922年(大正11年))。東京電車鉄道の監査役、京浜電気鉄道の取締役となり、また、興亜起業取締役会長、平沼製糸社長、神中鉄道、山東起業、満州製麻、青島電気、横浜桟橋倉庫の取締役、平沼製材の社長、日本火薬製造、火薬鉱業、東亜勧業の各監査役、膠奥電気股份有限公司の副董事長、法政大学理事などを歴任した。
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