山下 太郎(やました たろう、1889年(明治22年)4月24日 - 1967年(昭和42年)6月9日)は、日本の実業家。その業績から「満州太郎」「アラビア太郎」「山師太郎」などと呼ばれた。 秋田県平鹿郡大森村(のち大森町、現・横手市)に近藤正治・みつ夫妻の長男として生まれる。太郎の祖父母にあたる山下太惣吉・ひさ夫妻の養子となり、山下姓を名乗る。祖父はまもなく死去し、祖母の手で育てられた。大森小学校4年を修了し、東京の実父母の元で慶應義塾普通部に通った。その後北海道帝国大学農学部(旧札幌農学校、現北海道大学)に入学、北海道に渡った。 北海道帝国大学時代、のちに北海道学芸大学(現北海道教育大学)および帯広畜産大学の学長を務めた農学者の田所哲太郎(秋田県能代の出身)と知り合い、親交を深めた。
出典:ウィキペディア「山下太郎 (アラビア石油)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
