浅原 清隆(あさはら きよたか、1915年(大正4年)5月23日- 1945年(昭和20年)5月29日)は兵庫県生まれの洋画家。 兵庫県神戸市中央区播磨町生まれ。 1934年(昭和9年)帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学。1935年(昭和9年)第22回二科展に初入選する。シュルレアリスムに関心を持ち、同級生らと1936年(昭和10年)グループ「表現」を結成同年「動向」の結成参加、映画研究会の会報『T映』参加。1937年(昭和11年)第7回独立展入選。1938年(昭和12年)創紀美術協会結成に参加。1939年(昭和13年)美術文化協会の結成に参加。同年、神戸で個展を開催するが、まもなく応召し、1945年(昭和20年)ビルマ(現:ミャンマー)のプローム県で行方不明となる。
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