赤嶺 昌志(あかみね まさし、1896年(明治39年)3月8日 - 1963年(昭和38年)2月15日 )は、日本のプロ野球球団経営者。 プロ野球・名古屋軍の理事(現在の日本プロ野球における球団代表に相当する)やセントラル・リーグ総務などを歴任した。 大分県出身で、明治大学法学部を卒業後に平壌鉄道局の野球チームの嘱託をしていたところ、若林忠志を要するハワイ州のアマチュア球団「スタクトン」を招き入れて親善試合を行う。しかし赤嶺は、平壌の戦力が不十分として自ら東京へ向かい、新国劇のエースだった黒田健吾を引き抜いた。これがきっかけで、のちに新国劇が平壌で興行した際に赤嶺は劇団の若手に付け回されたという。
出典:ウィキペディア「赤嶺昌志」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
