大久保 忠素(おおくぼ ただもと、1894年2月10日 - 没年不明)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。松竹キネマおよび松竹蒲田撮影所の創生にかかわり、小津安二郎の唯一の映画監督としての師であることでも知られる。 1894年(明治27年)2月10日、東京府東京市神田区(現在の東京都千代田区神田)に生まれる。 明治大学文科を卒業後、有楽座の舞台監督を務める。1920年(大正9年)6月、松竹蒲田撮影所に入社。ヘンリー・小谷、野村芳亭に助監督として師事する。1922年(大正11年)、監督に昇進する。同年に斎藤寅次郎が入社、1926年(大正15年)に小津安二郎が撮影助手から異動し、それぞれ大久保の助手となる。
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