小野寺 章(おのでら あきら、1884年(明治17年)12月10日 - 1935年(昭和10年)2月3日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、実業家、弁護士。 岩手県東磐井郡黄海村(藤沢町を経て現一関市)に小野寺治平の二男として生まれる。1909年(明治42年)、明治大学を卒業。卒業後は「刑法研究会」をおこして、研究調査に励んだ。1913年(大正2年)、弁護士試験に合格し、法律事務所を開いた。また日本林産株式会社を創業して取締役に就任し、さらに京浜窯業株式会社の監査役も兼ねた。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第17回・第18回と当選を重ねた。その間、東北振興会幹事として、昭和東北大凶作や昭和三陸地震の救済に尽力した。
出典:ウィキペディア「小野寺章 (政治家)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
