河村 藤四郎(かわむら とうしろう、1852年(嘉永5年) - 1929年(昭和3年)4月)は、佐賀県出身の政治家・実業家。藩末期から明治にかけて唐津の教育、政治、経済界で幅広く活躍した。長兄は初代唐津村長の河村如壽(河村家四代目当主)。唐津市初代の市長河村嘉一郎は藤四郎の長男。 唐津藩士で奉行職(普請小奉行)を勤めた河村如茂(河村家三代目当主)の三男として生まれる。 少年時代、陽明学派の一色耕造が開いた町田の一色塾に学び、後に多久の儒家草場佩川(はいせん)の長男草場船山(せんざん)の門に入った。その学業の優秀さが認められた藤四郎は、若年にもかかわらず、藩から食料を給された。次いで、長崎師範学校に学んだ藤四郎は上京し、1880年(明治14年)、岸本辰雄や西園寺公望らによって創立された明治法律学校(現在の明治大学)に入学、第1回生となった。
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