安部 俊吾(あべ しゅんご、1884年(明治17年)11月23日 - 1970年(昭和45年)2月3日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)。位階は正五位。 宮城県桃生郡野蒜村山の坊(鳴瀬町を経て現東松島市)で生まれる。早稲田大学専門部政治経済科を卒業。19歳で渡米し、苦学してシカゴ大学大学院政治科、同法科などで学び、1912年(明治45年)ホイトン大学文科を卒業した。在米中は、南加州日本人会長、中央ロスアンゼルス日本人会長、商工会議所会頭などを務め、日米親善、在留邦人人権擁護などに尽力した。 帰国後、塩釜市行政顧問、宮城県地方労働委員(中立代表)、徳海屋(株)支配人、不二貿易取締役社長などを務めた。
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