大内 暢三(おおうち ちょうぞう、1874年(明治7年)3月15日 - 1944年(昭和19年)12月31日)は、衆議院議員(憲政本党→立憲国民党→革新倶楽部→立憲政友会)、東亜同文書院院長・同大学学長。 福岡県八女郡白木村(現在の八女市)に、大内精一郎の長男として生まれる。1890年(明治23年)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学して政治学を専攻し、1894年(明治27年)からはアメリカ合衆国のコロンビア大学に入学して、政治学と憲法学を学んで法学修士の称号を得た。帰国後、早稲田大学の講師を務めたが、貴族院議員・公爵近衛篤麿の知遇を得、1899年(明治32年)に近衛の欧米歴訪に随行した。また近衛が東亜同文会を創設するのに協力した。
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