小森田 一記(こもりだ かずき、1904年3月29日 - 1988年9月25日)は、日本の雑誌編集者、事業家。 1904年に熊本県菊水町(現和水町)に生まれる。最初農業に従事しようと親戚の家で馬肥づくりをするが、途中で日本の文化界に尽くしたいと、独学で旧制中学四年の編入試験に合格、新聞配達等をして苦学しながら、1930年に早稲田大学政経学部経済学科を卒業。同郷である朝日新聞編集主幹・牧野輝智の庇護と推薦を受けて中央公論社に入社、28歳で婦人公論の編集長を務める。1937年から1940年の間は編集長を務めた。 1944年に横浜事件が発生すると事件の舞台となった雑誌『改造』とともに編集が左翼的であったとして『中央公論』も弾圧対象となり、小森田を含む8人の編集者らが逮捕、勾留された。
出典:ウィキペディア「小森田一記」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
