宮下 友雄(みやした ともお、1881年〈明治14年〉4月27日 - 1954年〈昭和29年〉3月15日)は、大正から昭和にかけて活動した日本の実業家である。長野県長野市の人物で、家業の金物商を営みつつ会社経営にも関わり長野信用金庫(旧・長野市庶民信用組合)理事長を長く務めた。また剣道を趣味とし大日本武徳会長野支部教師を務めた経験もある。 宮下友雄は、1881年(明治14年)4月27日、長野県民・宮下太七郎の長男として生まれた。宮下家は長野市内随一の旧家で、善光寺町に移り住んだのは寛保2年(1742年)のことという。家業として天明8年(1788年)より金物商(屋号は「増太」)を営んだ。父の太七郎は長野町会議員に選出(1889年の第1回町会議員選挙にて)されたほか、長野市所在の長野貯蔵銀行や長野電灯で取締役を務めた人物である。
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