山本 飼山(やまもと しざん、1890年(明治23年)7月23日 - 1913年(大正2年)11月5日)は、思想家、社会運動家。本名は山本 一蔵。 1890年(明治23年)、東京に生まれる。8歳の時自由民権運動の壮士であった父を失い、母とともに長野県松本市にある亡父の生家に寄寓。その後、飼山の母は彼が12歳の時に、彼を残して再嫁している。 小学校時代より無教会派キリスト教の感化を受け、旧制長野県松本中学に在学中、キリスト教的社会主義に共鳴し、とりわけ木下尚江の思想に関心を示した。15歳の頃、日露戦争の際に、非戦論の演説をし、停学処分を受けている。その後、早稲田大学文学部に入り、石川三四郎・渡辺政太郎を介して、大杉栄・荒畑寒村・幸徳秋水らの知遇を得、『近代思想』に評論を寄せるようになる。
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