植原 悦二郎(うえはら えつじろう、旧字体: 植原 悅二郞、1877年(明治10年)5月15日 - 1962年(昭和37年)12月2日)は、日本の政治家・政治学者。位階は正三位、勲等は勲一等。国務大臣・内務大臣。 長野県安曇郡、のちの南安曇郡明盛村(三郷村を経て現安曇野市)生まれ。3歳の時に生家が没落し、豊科高等小学校卒業後、製糸工場での女工の検番、横浜税関勤務を経て、1899年(明治32年)渡米。学校で給仕として働きながらハイスクールを出て、週刊紙『日米商報』を発行しながら、1907年(明治40年)ワシントン州立大学を卒業。ワシントン大学ではジョン・アレン・スミスの政治経済、ウイリアム・セーボリーの哲学などを学んだ。
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