金子 角之助(かねこ かくのすけ、旧姓・武藤、1867年1月30日〈慶應2年12月25日〉 - 1937年〈昭和12年〉9月24日)は、日本の政治家、自由民権運動家、会社重役。神奈川県高座郡藤沢町長(第2代)。関東興信銀行、神奈川県農工銀行各取締役。高座郡農会長。全国町村長会会長。中央報徳会理事。 相模国(のち神奈川県高座郡綾瀬村本蓼川、現・綾瀬市)出身。農民・武藤卯左衛門の三男。大庭の金子小左衛門の嗣子となる。耕余塾に学んだ。 横浜中学校卒業後は一時教職に就いた。1885年、有一館の館長・磯山清兵衛の誘いで大井憲太郎らの大阪事件に加わり、投獄され、軽懲役2年の刑をうける。1890年、保安条例に触れて東京を逐われ、同志と共に神奈川県倶楽部同青年会等を組織する。
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