初世植村 文楽軒(うえむら ぶんらくけん) 1810年7月9日(60才)没。人形浄瑠璃・文楽座(劇場名および団体名)の源流。本名は正井与兵衛(嘉兵衛との説もある)。また、植村姓を本人は名乗っていないとの説もある。素人浄瑠璃語りとしての号も「文楽」であり、「文楽軒」ではないとの説もある。但し子孫から「初代文楽軒」と呼ばれていた事は、資料もあり確実である。 淡路国津名郡仮屋浦(現・兵庫県淡路市仮屋)の出身と言われている。寛政頃に大坂高津新地、高津入堀川に架かる高津橋南詰西の浜側(現・大阪市中央区日本橋)に浄瑠璃の稽古場を開設。その後、私財を投入して人形入りの浄瑠璃興行を始めたと言われている。彼の素人浄瑠璃語りとしての号である「文楽」が後の「文楽座」という名称の源流になる。
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