是恒 真楫(これつね まかじ、1851年(嘉永4年8月) - 1892年(明治25年)3月13日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(2期)。 豊前国宇佐郡畑田村(大分県宇佐郡駅館村、駅川村、駅川町を経て現宇佐市)で生まれた。白石照山に師事し漢籍を修める。京都の春日潜庵に学び、ロシア語を研究した後に帰郷。1875年(明治8年)宇佐郡に民会を設立し民権の発揚に努める。1879年(明治12年)大分県会議員に推されたがこれを断り、西国東郡長に就任する。1881年(明治14年)大蔵省に出仕し主税官となり1890年(明治23年)3月まで務めた。ほか、日本運輸会社長を務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では大分県第6区から出馬し当選。
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