上郎 幸八(こうろう こうはち、1836年10月18日〈天保7年9月9日〉 - 1916年〈大正5年〉12月29日)は、日本の資産家、実業家。族籍は神奈川県平民。 越前国南条郡白崎村(のち福井県南条郡王子保村白崎、現越前市白崎町)の農家に生まれた。新右衛門の二男。はじめ幸吉といい、後に幸八と改めた。 万延元年8月、東京日本橋木綿問屋小津清左衛門の店員となる。文久3年、横浜の西洋洗濯屋中山太郎左衛門の店員となる。仕事が終われば夜間は車の後押し、人力車夫等となり幾年か苦しい労働をつづけ、ついに両替店を開く。 国立七十四銀行取締役支配人となり、1880年には横浜正金銀行設立発起人、上信銀行顧問となる。
出典:ウィキペディア「上郎幸八」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
