山田 穣(やまだ ゆたか / みのる、1842年(天保13年7月)- 1892年(明治25年)5月6日)は、明治期の地主、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・蒲、幼名・幸輔。 越前国今立郡東庄境村(福井県今立郡南中山村、粟田部町、今立町を経て現越前市)で素封家・蒲家に生まれ、文久2年(1862年)越前国坂井郡一本田村(坂井郡丸岡町を経て現坂井市)の同国屈指の豪農・山田穆斎の養子となる。 明治5年(1872年)足羽県坂井郡副長に就任し、敦賀県第57大区区長、第15大区副区長兼学区取締を務めた。1875年(明治8年)地租改正の総代人となりその事務に従事した。 1880年(明治13年)石川県会議員に当選し、福井置県後は福井県会議員に選出され同議長、同常置委員も務めた。
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