大内 貞三郎(おおうち ていたろう、1857年(安政4年7月)- 1916年(大正5年)12月24日)は、明治期の公吏、教育者、政治家。衆議院議員、岩手県胆沢郡古城村長。 陸奥国胆沢郡関村(水沢県胆沢郡稲置村、磐井県胆沢郡稲置村、岩手県伊沢郡古城村、前沢町を経て現奥州市)で、仙台藩士・大内行雄の二男として生まれた。仙台中教院で学んだ。 松川村・門崎村戸長、胆沢郡・江刺郡書記を務めた。上京して遊学した。西磐井郡・東磐井郡書記を務めた。 1890年(明治23年)岩手県会議員に選出され、同常置委員も務めた。同年7月、第1回衆議院議員総選挙(岩手県第4区、国民自由党)で落選したが、1892年(明治25年)2月の第2回総選挙(岩手県第4区、中央交渉会)では当選し、衆議院議員に1期在任した。
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