鳥居 断三(斷三、とりい だんぞう、天保9年〈1838年〉 - 1911年〈明治44年〉1月27日)は、幕末の大垣藩士。明治時代の官吏。判事。弁護士。三河県知事。柏崎県参事。大審院判事、東京始審裁判所長、東京重罪裁判所長。本姓は平氏、名は重雄。諱は朝道。号は圭陰。 美濃大垣藩士の子として大垣城辰之口内清水馬場北詰の家に生まれる。幼名は鉄五郎。嘉永4年11月、病気の兄元次郎の養子となった。嘉永6年12月に使番役に出仕、安政6年11月に留守居役江戸定府を申し付けられた。文久2年正月、奏者番となり、慶応3年3月に用人と留守居の兼務となった。戊辰戦争では1868年(慶応4年1月)大垣藩軍事副総裁助役、のち同藩軍事奉行として東山道先鋒軍に従い、各地を転戦した。
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