横山 勇喜(よこやま ゆうき、1852年11月13日(嘉永5年10月2日)- 1897年(明治30年)11月7日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、秋田県会議長。 出羽国秋田郡東大館町長倉(秋田県北秋田郡大館町を経て現大館市長倉)で、久保田藩士・横山運之助の長男として生まれた。藩校・明徳館で学んだ。 1874年(明治7年)10月、父の死去に伴い家督を相続。農業を営む。 1879年(明治12年)3月、秋田県会議員に選出された。通算6期在任し、1891年(明治24年)4月から4か月間、同議長を務めた。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(秋田県第2区、立憲革新党)で当選したが、同年9月の第4回総選挙で落選し、衆議院議員に1期在任した。
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