泉 詩郎(いずみ しろう、1902年 - 1978年5月2日)は、昭和初期から戦後にかけて活躍した活動弁士。岡山県岡山市出身。本名は姫路与四郎(ひめじ よしろう)。坊主頭に眼鏡をかけた姿であった。 8人兄弟の末っ子で、両親は荒物商を営んでいた。岡山商業高校(現在の岡山東商業高等学校)卒業後、来阪して活動弁士の泉浩一路に師事し、1924年に道頓堀朝日座で初舞台。無声映画時代の名弁士として活躍し、「東に夢声あり、西に詩郎あり」と称された。トーキー化以降は自身の名を冠した団員数30人近あまりの大所帯の泉詩郎歌謡楽団を結成。戦後はボーイズ物泉詩郎歌謡ショウと称して寄席や劇場に進出すると共に、映画・歌謡曲の解説をした。
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