薬袋 義一(みない ぎいち、1855年2月4日〈安政元年12月18日〉 - 1903年〈明治36年〉2月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(国民協会→立憲政友会)。位階は正七位。 甲斐国巨摩郡竜王村(現在の山梨県甲斐市)の丹沢家に生まれ、八代郡大塚村(現在の西八代郡市川三郷町)の薬袋義道の養子となった。1877年(明治10年)、区長となった。同年1月及び1880年(明治13年)6月から1883年(明治16年)7月まで山梨県会議員を務めた。 山梨県において県令・藤村紫朗の主導する県政に対して自由民権運動が展開される。薬袋は新聞社・峡中新報社を立ち上げ社長に就任し、『峡中新報』において反藤村県政を展開した。
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