厚地 政敏(あつち まさとし、1858年(安政5年1月)- 1921年(大正10年)2月11日)は、明治から大正期の政治家、実業家。衆議院議員、鹿児島県会議長。 薩摩国谿山郡谷山郷、のちの鹿児島県谿山郡谷山村(鹿児島郡谷山村、谷山町、谷山市を経て現鹿児島市)で生まれた。15歳で上京しバラ塾で英語を学んだ後に大学予備門に入学。病のため帰郷し、九州改進党鹿児島部の結成に参画し、政治活動と共に青年の指導を行う。谷山小学校(現鹿児島市立谷山小学校)の初代校長を務めた。 1883年(明治16年)1月、鹿児島県会議員に当選し、鹿児島同志会が発足し理事に就任して自由民権運動を進めた。第7代県会議長に就任。その後、吏党派の独立クラブに転じた。
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