守屋 善兵衛(もりや ぜんべえ、慶応2年1月25日(1866年3月11日) - 昭和5年(1930年)12月10日)は、日本の実業家。幼名は、久太。父は、彌作。 備中国小田郡大井村東大戸2087番地(現在の岡山県笠岡市)に生まれる。1876年、祖父の名を継いで善兵衛と改名する。地元の学校に学ぶが1880年上京し、東京外国語学校(旧外語)および独逸学協会学校でドイツ学を学ぶ。1883年、東京に欧亜学館を設立する。 1885年からは政府各省の依頼により、種々のドイツ語文書を翻訳する。その後台湾総督府の後藤新平、児玉源太郎などの知遇を得、1898年、台湾日報社と台湾新報社を合併して台湾日々新報社を創立し、社長となる。
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