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網野鉦一

あみの しょういち
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網野 鉦一(あみの しょういち、1934年1月30日 - 2006年1月17日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、養成学校経営者である。網野映画株式会社、網野学園株式会社代表。日本映画監督協会物故会員。 1934年(昭和9年)1月30日、千葉県に生まれる。 1952年(昭和27年)3月、千葉県立長生高等学校を卒業、その後1956年(昭和31年)、満22歳のときに脚本家になった。日本映画監督協会公式ウェブサイトの網野の項目には、その6年後の1962年(昭和37年)に「新東宝映画演出部入社」と記載されているが、新東宝は前年1961年(昭和36年)8月31日に倒産しており、製作部門はその年の11月15日に切り離されて、ニッポン・アートフィルム・カンパニー(NAC)になっており、同年に同社が「新東宝」の名で製作したものは、2月11日公開の『俺が裁くんだ』(監督橋田寿久年、配給日活)、6月3日公開の『悲しみはいつも母に』(監督中川信夫、配給大映)の2作のみで、現在の新東宝映画の前身である新東宝興業が映画を製作するのは1963年(昭和38年)6月22日に公開された『日本残酷物語』(監督中川信夫・小森白・高橋典)を待つことになる。

出典:ウィキペディア「網野鉦一」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋