足立 孫六(あだち まごろく、1843年(天保14年9月) - 1911年(明治44年)7月27日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(2期)。 遠江国城東郡丹野村(静岡県城東郡川野村、小笠郡川野村、小笠村、小笠町を経て現菊川市)の三橋家に生まれ、周智郡平宇村(山科村、山梨村、山梨町を経て現袋井市)の足立家の養子になる。和漢学を学ぶ。1873年(明治6年)浜松県第二大区小区長となるが、1875年(明治8年)凶荒に際し減租を訴え県官と対立し罷免された。この頃、協同会を結成し小作米基準地価算定論や公選民会開設論を展開した。1876年(明治9年)2月、浜松県15等出仕、同年6月、権少属として民会係となり、浜松県民会設立に尽くした。
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