三浦 信六(みうら しんろく、1850年(嘉永3年7月)- 1897年(明治30年)9月19日)は、明治期の政治家。衆議院議員、福島県耶麻郡加納村長。 陸奥国耶麻郡上野村(福島県耶麻郡米岡村、加納村、熱塩加納村を経て現喜多方市熱塩加納町米岡上野)で、肝煎(庄屋)三浦嶺八の息子として生まれる。日新館で学び、その後江戸に出て昌平坂学問所で学んだ。 1881年(明治14年)頃から自由民権運動に加わり、同年5月、会津地方有志大親睦会で座長となり、自由党会津支部の創設に尽力し、1882年(明治15年)2月に同支部常任委員に就任。同年12月、福島県会議員に選出され、三島通庸県令反対派であったが、会津三方道路問題には関与しなかった。
出典:ウィキペディア「三浦信六」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
