喜多川 孝経(孝經、きたがわ たかつね、1859年5月7日(安政6年4月5日)- 1930年(昭和5年)11月2日)は、明治から大正期の農業経営者・実業家・政治家。衆議院議員。幼名・奈良蔵。 山城国綴喜郡田辺村沓脱(京都府綴喜郡田辺村大字田辺小字沓脱、田辺町を経て現京田辺市田辺沓脱)で、南山郷士、庄屋、農業・喜多川喜右衛門の長男として生まれる。沢辺正脩、大亦俊に師事し、皇学、漢学、詩文を修めた。農業を営む。 1881年(明治14年)7月、有志と南山義塾を設立し、同年10月、初代副社長となり、1883年(明治16年)4月、伊東熊夫の後継社長に就任し1884年(明治17年)3月まで在任。のち同塾の組織を改編して京都府立三山木中学校を設立する際にも尽力した。
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