粥川 伸二(かゆかわ しんじ、1896年〈明治29年〉2月24日 - 1949年〈昭和24年〉1月1日)は、大正期から昭和戦前期にかけて活動した日本画家。雅号は新児、心児。 1896年(明治29年)2月24日、粥川八郎、ミチ夫妻の長男として大阪府大鳥郡向井村中筋(現在の堺市)に生まれる。 1902年(明治35年)、堺市英彰尋常小学校(現在の堺市立英彰小学校)に入学する。途中、体が弱く一年間休学する。 1909年(明治42年)、大阪大倉商業学校(現在の関西大倉中学校・高等学校)に入学するが、1910年(明治43年)、結核性骨髄炎となり右足を切断する。 後の進路を親族会議で相談した結果、本人が幼少より絵が好きであったため、画家にさせることに決定。
出典:ウィキペディア「粥川伸二」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
