12代 工藤 八之助(くどう はちのすけ、1871年3月23日(明治4年2月3日)- 1928年(昭和3年)8月21日)は、明治から昭和初期の地主、政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。幼名・松吉、旧名・郁之助。 出羽国村山郡米沢村(山形県西村山郡高松村を経て現寒河江市米沢)で、素封家・先代工藤八之助(五八)の長男として生まれる。格知学舎で国史、国文、漢学などを学んだ。1900年(明治33年)家督を相続し12代八之助を襲名した。 1900年以降、高松村会議員、村山郡会議員、同議長、村山郡農会長、高松村長、山形県会議員、同参事会員などを務めた。 実業界では、羽前製糸社長、庄内電気社長などを務めた。
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