小日向 白朗(こひなた はくろう、1900年(明治33年)1月31日 - 1982年(昭和57年)1月5日)とは、単身で中国大陸に渡り、捕虜から「中国全土の馬賊」の総頭目にまで上り詰めた日本人の馬賊である。新潟県三条市出身。本名は健松。中国名は尚旭東。民衆からは小白竜とも呼ばれた。 1900年(明治33年)年、新潟県・三条の機屋の次男に生まれた。16歳の春、東京に出て同郷出身の屑問屋に奉公。当時の第一次世界大戦の影響で好景気の中、屑鉄集めで一儲けした。シベリア単騎横断で有名な福島安正中佐にあこがれ、中国、チベットを調査しながら、ドイツを目指そうと17歳で中国に渡る。奉天(現瀋陽)駅の駅長に「中国語を学ぶには天津か北京に行くほうがいい」と勧められ、天津へ赴き、そこで駐屯軍司令部付の坂西利八郎大佐の知遇を得た。
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