小田切 辰之助(おたぎり たつのすけ、天保10年(1839年) - 明治37年(1904年))は、幕末から明治時代の日本の製糸家。幼名は録三郎。祖父は武兵衛、父は沖兵衛。 須坂の「西糀屋」あるいは「大糀屋」と呼ばれる小田切家の宗家に生まれる。須坂の小田切氏は滋野氏一族海野氏の出で、幕末まで油屋・糸師・呉服商を営み、須坂藩の御用達を勤めた家。辰之助は安政6年(1859年)の横浜開港より生糸、蚕種の貿易に携わる。慶応年間には「蚕種組合」を設立し、自ら検査役となり、のち明治5年(1872年)川東組の蚕種大総代となる。 のち海外の生糸需要の増加を受け遠藤万作、青木甚九郎らと富岡製糸場を視察し、明治7年(1874年)には水車仕掛けの器械製糸を、さらに翌年には弟の武兵衛と協力し、水車動力による器械製糸を創設した。
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