稲田 邦植(いなだ くにたね、1855年12月26日(安政2年11月18日) - 1931年(昭和6年)5月28日)は稲田家16代当主。稲田家は代々徳島藩の筆頭家老であり、かつ淡路国洲本城主(現在の兵庫県洲本市)だった。維新後は男爵。 安政2年(1855年)11月18日、14代当主稲田植乗の長男として生まれた。母は禎寿院。幼名は小八郎。 父が早く亡くなり、15代当主稲田植誠の養子となった。1865年(慶応元年)12月、11歳で家督を継ぎ、九郎兵衛を名乗った。徳島藩は佐幕であったのに対して、尊皇攘夷派であったため早々に新政府軍に帰順した。1868年(慶応4年)、鳥羽・伏見の戦いでは日の御門を守衛し、摂津国西宮への出兵や高松藩の征討、有栖川宮熾仁親王の護衛などの任を務めた。
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