斎藤 勘七(さいとう かんしち、1853年5月11日(嘉永6年4月4日) - 1936年(昭和11年)2月18日)は、明治から昭和時代初期の政治家。衆議院議員(3期)。名・忠篤、号・桂斎。屋号は勘左衛門。 出羽久保田藩領仙北郡花館村(秋田県仙北郡花館村、大曲市を経て現大仙市)出身。生家は農業と清酒醸造業を営んだ。角間川青松館、二階堂鴻之進に師事し漢学を修めた。自由民権の発揚を訴え、秋田県会議員に挙げられたが、1881年(明治14年)病のため辞す。ほか、花館村長、仙北郡会議員を歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では秋田県第4区から出馬し当選。つづく第2回および第9回総選挙でも当選し衆議院議員を通算3期務めた。
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