佐藤 藤七(さとう とうしち、文化4年(1807年) - 明治5年(1872年6月27日))は、幕末期の上州権田村(現・群馬県高崎市倉渕町権田)の農民名主。通称勘兵衛、名は信有(信宥とも)。日本で初めて世界一周した農民として知られる。 佐藤藤七は文化4年(1807年)に現在の藤岡市本動堂に生まれ、のちに権田村名主・佐藤勘兵衛家の婿養子となり、家督を継いだ。勘兵衛家は代々名主を務め、家業は酒造であった。 藤七は学問、とくに漢学に秀で、権田村で寺子屋を開き、文人・塚越停春などの逸材を育てたことで知られる。 小栗忠順に才能を見込まれて江戸で忠順に仕え、万延元年(1860年)、幕府は日米修好通商条約批准書交換のために遣米使節を派遣したが、藤七は農民身分としては異例の随行許可を得て、小栗忠順に随従し世界一周を経験した最初の日本農民となった。
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