三好 退蔵(みよし たいぞう、1845年6月16日(弘化2年5月12日) - 1908年(明治41年)8月20日)とは、日本の法曹。初代検事総長、大審院院長を歴任し、退官後は弁護士、貴族院議員を務めた。錦鶏間祗候。 旧暦弘化2年5月(1845年6月)、日向国(現在の宮崎県児湯郡高鍋町)高鍋藩士の家に生まれる。藩校明倫堂で学んだ後、遊学して安井息軒に師事。 明治2年(1869年)に新政府に出仕して高鍋藩の少参事を務めた後、地方官や大蔵省官吏を歴任。この間、大蔵省出仕のまま明治4年7月3日(1871年)、27歳で慶應義塾に入塾した。同塾が芝新銭座(現在の港区浜松町一丁目)から三田に移ったばかりで、同窓には猪飼麻次郎、九鬼隆一、雨山達也、矢野文雄、高嶺秀夫らがいた。
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