植村 嘉三郎(うえむら よしさぶろう、1883年〈明治16年〉11月15日 - 1958年〈昭和33年〉3月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 兵庫県多紀郡、のちの福住村(多紀村、多紀町、篠山町、篠山市を経て現丹波篠山市)で、植村建次郎の二男として生まれた。幼くして東京に出て苦学した。やまと新聞、国民新聞、中央新聞の各記者となり、昼夜通信社専務取締役社長となる。 1936年(昭和11年)の第19回衆議院議員総選挙において兵庫5区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選する。次の1937年(昭和12年)の第20回衆議院議員総選挙で落選した。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では非推薦で立候補したが最下位で落選した。
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