田 艇吉(でん ていきち、1852年10月18日〈嘉永5年9月6日〉- 1938年〈昭和13年〉11月17日)は、日本の政治家、実業家。号は楓軒、松鶴。 丹波国氷上郡柏原藩領の下小倉村(現在の兵庫県丹波市柏原町下小倉)にて、農家の田文平の長男として生まれる。8歳より村医だった長沢順方に師事して読み書きを学ぶ。12歳の時に小島省斎に入門。父親の病のため、13歳でその代理を務める。学問を修めた後、1870年(明治3年)には19歳で村総代となった。20歳で家督相続。 1879年(明治12年)、第一期兵庫県会議員に当選。氷上郡書記、氷上郡長などを歴任の後、1891年(明治24年)に衆議院議員に当選(以後衆議院議員として当選4回)。
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