酒井 忠篤(さかい ただずみ)は、江戸末期の大名。明治時代から大正時代にかけての日本の華族、陸軍軍人。華族としての爵位は伯爵、軍人としての最終階級は陸軍中尉。 酒井左衛門尉家17代当主として出羽庄内藩の第11代藩主となったが、明治元年に王師に抗したため蟄居・改易となったが、弟・忠宝が家名再興を許され最後の藩主となった。明治13年(1880年)に弟に家督を譲られて19代当主となり、華族の伯爵に列する。 旧暦嘉永6年2月13日(1853年)、第9代藩主・酒井忠発の5男として生まれる。文久2年(1862年)、叔父で第10代藩主の酒井忠寛が24歳で死去したため、その養子として跡を継ぐ。文久3年10月26日(1863年)、従四位下、左衛門尉に叙任。
出典:ウィキペディア「酒井忠篤 (庄内藩主)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
